オステオパシーの施術を受けたクライアントさんから
その後の経過や感想をいただくことがあります。
先日いただいた感想は
オステオパシーの存在をクライアントさんが自分と同じように捉えてくれて
いや、違うな。
私が捉えているオステオパシーという存在を
さらに高いところから捉えてくれて
今までちょっとだけ開いていた重たい扉を
一緒に開いてくれてくれたような感覚がしました。
メールをいただいた日に
私は何度も、何度も、
実際50回くらい(笑)メールを読み返していました。
これから長いオステオパシーの人生でくじけそうになる時がきても
このメールをお守りにして進んでいけるんじゃないかと思う。
工学博士のクライアントさんからいただいたメールは
こちらのメール。
吉野さん
本日もご丁寧な施術をして頂き、誠に有難うございました。
また多くの課題を解くヒントを色々頂き、重ね重ね感謝致します。痛みもなく自然にベッドから起き上がれただけでなく、
あの後も、コルセットなしで痛みもなく歩けるばかりか、小走りも階段の登り降りも痛みもなく出来ており、
自分の身に起きた奇跡的な出来事に、
いてもたっても居られず、
帰りの電車の中から御礼のメールを出させて頂きました。これまでの様々なことも振り返り、
医師の多くが医学を医学としてしか考えていなく、また自分のような工学者の多くも工学を工学としか考えていないことを思い、
医学も工学も他の分野も、
大きな広い科学の一部だと考えれば、オステのような
一つの大きな可能性に広がることが出来ると実感しました。
クライアントさんの腰の状態が良くなったのは
もちろん嬉しいのだけれども
その体感とともに、
自分の中に起きた気づきを
湧き上がったきた臨場感とともに送ってくださったことや
オステオパシーを
工学や医学と同じ高さで捉えてくださったことが嬉しくて
(オステオパシーは海外では医学ですが)
私はメールを読んで涙を流しました。
フェイスブックには載せてないけれど
このメールには続きがあります。
それは、全てのことは大なり小なり、直接的或いは間接的に繋がり影響し合う、
一つの大きな有機的なシステムであることを、
オステが表しているのではないかと、
自分なりに考えたことです(我流な理解なのでご容赦下さい)。それは、枠を外したり、バウンダリーを超えて外に出て、
外のスペースで表現したり外に出すワークを行いながら、
古いバウンダリーを広げることができる一つの大きな可能性です。科学の個々の分野は、一度創られると発展の為に、
或る期間は閉じられたバウンダリーの中で
活動し成長や成熟する必要があると思います。私の愛読者の一つに書かれていたことですが、
所謂分析主義は、その活動の典型かもしれません。
DNAの構造を全て読み取り分析することは非常に重要ですが、
それで身体や病気の全てを解決するヒントは与えてくれるものの、身体の全ての解明や、全ての病気を解決してはくれません。
ですが残念ながら、多くの研究者は、
そのように考える必要がないと考えているように見えますし、自分もそうなのかもしれません。
その考えこそが、
例えば、医学は医学として、工学は工学としてしか捉えない考えのように思うのです。しかし、或る期間を過ぎた時、
バウンダリーを超えて外に出て、
前に書いているような活動をする必要があると思っています。そして、それをすることは、
一度身に付けたヨロイを外し役割を降り、外にある他の分野と繋がり
刺激し合うことと同じようにも感じます。その為には、
科学を研究する者の或る意味の心得として、
科学は分野を問わず一つの大きな有機的なものだと考える必要があると思うのです。
そして最後に
先日の施術の後で、人の身体や理性や心というものが、
一つの大きな有機的システムだとオステが教えてくれた気がする中、
そんな一つの大きな可能性を感じました。
一つの大きな有機的システム。
それを宇宙と呼ぶのかもしれません。
身体を通しての
体感を得ての気づきは
思考を超えたところで
瞬時に記憶と記憶が結びついて起こるのだと思う。
クライアントさんからのメールを読み終わった後
オステオパシーのフルフォード博士の本に
いただいたメールへの答えのようなことが
書いてあったことを思い出しました。
オステオパシーにも
宇宙の普遍的な法則を反映した思想がある。オステオパシー医として仕事をすることは、
その法則を人間に応用することを意味している。だからこそ、
オステオパシー医は
病のもっとも深い原因にまで分けいることができるのだ。オステオパシーは思想であると同時にアートでもある。
アートとは、なんらかの活動をするための技量または力である。
また、 オステオパシーは科学でもある。
科学とは、自然および物質界にかんする秩序だった知識である。
オステオパシーを通して世界を知っていく。
そんな生き方がいつのまにか開かれていたのかもしれません。
クラニオセイクラルオステオパシー
ヒックエトヌンク
吉野美保
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