こんにちは。
ヒックエトヌンク天音です。

7月11日日曜日。
この日は私が学んでいる、心理セラピー=空間共鳴セラピーの上級クラスの卒業式が行われました。

最初に言っておきますが、卒業と言えど、心理セラピーの入り口にようやく立てたばかり。

ですが、2年近くになる空間共鳴セラピーの学びは、私の人生に大きく影響を与え

ようやく、自分が「人生の主人公」として戻ってきたと感じています。

これまで生きてきた道も、私が歩んできた道には変わらないけれど

そこにあった私らしさは、
本来の私らしさとはかけ離れていたと思っています。

「私らしく生きること」というシンプルな幸せに、ようやく気がつけた今日この頃です。

誰一人と同じ症状の人はいないから

hic et nucnには、身体の悩みだけでなく、心の悩みも抱えた、複雑な症状の方が多くいらっしゃいます。

身体の悩みも心の悩みも、似ている症状はあっても他の人と同じ症状は一つもありませんよね。

クラニオセイクラルオステオパシーでは、症状別に決まったテクニックを使うことはなく、常に全体を捉えて必要な手技を使っていきます。

動きが失われた患部だけをみて、判断することもしません。

空間共鳴セラピーでも、たくさんのテクニックやワークを学ぶのですが、

それらのテクニックやワークも症状別に決まったものを使うわけではありません。

似ている症状はあっても他の人と同じ症状は、一つもないのですから。

それは何故かというと
一人ひとりの生き方が異なるからです。

当然と言えば当然ですが、決まった型に人間をはめ込むことは出来ませんよね。

タイプ別に判断をするという考えは心理セラピーにはなく、一人ひとりの心を丁寧に紐解いていく過程が、オステオパシーと重なると感じています。

でも心理セラピストにはなりません。

心理セラピーを学ぶきっかけはhic et nuncにいらっしゃるクライアントさんとの施術前のカウンセリングで、

心の問題も解決できたらよいなと思ったからなのですが、

心理セラピーの世界に一歩踏み入れてからは、そんなふうには思えなくなってしまいました。

心の問題は心の専門家に。

中途半端な知識や経験で、心の領域を扱うことは私には出来ないなあと。

私も以前はカラーセラピーやフラワーエッセンスを使ってカウンセリングをしていましたが、

外側のツールで心を解くことは出来ないと今は感じています。

たとえ外側のツールが、心を見つめるきっかけになったとしても、思い込みや信じ込みを強めることになりかねないとも。

なので、それらのツールは全て手放しました。

お金も時間も沢山かけたけれど、私には必要ないものになりました。

心は断片ではなく、幾重にも重なり層になり、そして、どこまでも狭まり、どこまでも広がる。

「クライアント自身が意識で捉えている心の現象は、表面的なものであることが多く、
それは問題の核に触れさせない為のダミーであることも。。。」


と熊谷先生がおっしゃっていました。

私は長い時間、身体と向き合ってきたぶん、心の現象の複雑さをより強く感じるのです。

そして、学べば学ぶほど自分の道はオステオパスであり、心理の学びはオステオパスとしての私の支えだと思うようになりました。

心は断片ではなく、幾重にも重なり層になり、そして、どこまでも狭まり、どこまでも広がる。

そんな心を包み込む身体と向き合うことが、私の仕事です。

空間共鳴セラピーの学んで良かったこと


今日、このブログを書こうと決めたのは、「心理セラピーを学んで良かったよ」ということを皆さんにお伝えしたかったからです。

ブログの始めに、ようやく、自分が「人生の主人公」として戻ってきたと感じています。と書きました。

あと10年早く、空間共鳴セラピーと出会っていたらもう少し穏やかに優しく生きてこれたと思うのです。

他人にも自分にも。

セラピーの学びは月に2日間でしたが、その他の時間も自分の心に向き合い続けた日々でした。

学んだ心の構造を自分の心に置き換えてみたり、まだ未完了な出来事に心理セラピーやワークを施したり。

熊谷先生の個人セッションを受けたり、心理に関する本を読んだりしながら苦しいながらも新しい広がりを感じながら学びを重ねていきました。

波乱万丈という言葉を使うのは、あまり好きではないけれど、私の人生はジェットコースターのようでしたし、創造と破壊の繰り返しでした。

粉々になった破片をかき集めても、元には戻ることはなく、場所を変えて1から作り直す。

それは私の望みでも、願いでもありませんでした。

けれど、そうしたくない方へ、そうなりたくない方へと選択を重ねてきたことは、私が受け入れなくてはいけない事実でした。

望んだ生き方が出来ない原因は何だろうと、原因を追求すればするほど沼にはまっていく。

空間共鳴セラピーの学びの中で熊谷先生はこうおっしゃっていました。

「問題を解決しようと原因追求をしても、その背後にある構造を読み解かなくては、原因の消滅は望めないでしょう。

それを見抜くには、問題解決のイメージやゴール設定を的確にすることです。」

「そして、欠乏感覚のまま描いた未来は不適切(間違うことが多い)です。

これさえあればうまくいく、あれさえあれば幸せ、ということは現状否定になるので、適切な未来を描くことは出来ません。

描くことが出来なければ望む未来はやって来ませんよね。」

複雑な家庭環境での生い立ち、自らの2度の離婚。

いつからか、「人生をこなす」そんな生き方をしてきた私は、未来を描くことすら出来ずにいました。

これさえあれば、あれさえあればと望んだものを手にしても、いざ手にすると

「これも違う、あれも違う」と捨ててきたのだと思う。

頭で理解できたとしても、ずいぶんと長い間繰り返してきたパターンです。

そもそも、現状を否定しないということが難しいことでした。

けれど、空間共鳴セラピーの学びの最中で、それは少しずつ可能になってきました。

それは何故かというと、

未完了な体験や感情を完了させることで現状を受け入れることが可能になることを実体験したからです。

起きてしまった出来事は変えることが出来ません。嫌な記憶も消すことは出来ません。

それらに伴った感情や信念を持ち続けていまを意味づけることで、過去とは違う出来事が起きても、

過去がいまに起きているように解釈し続けていれば、同じパターンにハマります。

私はPTSDの症状も持ち合わせていたけれど、心と向き合うことのできる、

熊谷先生や学びの仲間が安全で安心な場所を作ってくれました。

多分、私だけでなく一緒に学んだ仲間も自分自身が「人生の主人公」として戻ってきたと感じています。

そして、何よりも心理セラピーを学んで良かったのは、

人生の目的=ミッションを見つけられたことです。

私の人生の目的は「生まれてきてよかった」という人を増やすこと

以前、noteにこんなふうに書きました。

「私の望む人生はオステオパシーやセラピーを通して、
一人ひとりが人生を回復するサポートをしながら生きること。

学び続けること。
そして、誰かの人生を祝福できる私でありたい。

楽しみながら、幸せだね、美味しいねと言いながら、
健やかに豊かに生きることは贅沢なことなんかじゃないし、
それは難しいことではないのかもしれない。


今は、私の望む人生というよりも、人生の目的の方がしっくりときます。

人生の目的があり、目的を遂行するための「仕事」があります。

「生きてて良かった」ではなく、「生まれてきた良かった」。

この言葉には生まれてからこれまでの歩みを丸ごと祝福できる力があります。

どんな人生でも、どんな身体でも、「生まれてきた良かった」と思える心根。

そして、「良かった」の言葉の後にはいつも感謝がある。「良かった」の後には、

「ありがとう」の言葉が自然に続きます。

心にも身体にも小さくでも感謝を伝えることができれば、次第に状況は良くなっていくと、私は信じたい。

心と手を取り合うこと、身体と手を取り合うこと。つながりを取り戻すことで、統合されていく私という存在。

その存在を慈しむことが、他者への慈しみをもたらすことにつながっていく。

「自利利他円満」互いが互いを祝福できる世界。

特別でも、奇跡でもない、小さな幸せの価値を知ることで、人生は豊かになる。

2年近くになる空間共鳴セラピーの学びは、私の人生に大きく影響を与え、ようやく、自分が「人生の主人公」として戻ってきたと感じています。

小さな幸せを育みながら、一歩一歩。
私らしく。

ではでは、今日はこのへんで。


PS・・・心理の熊谷先生と身体と心の統合セラピーのセッションを準備中です。夏が終わる前にご案内できる予定です。