クライアントの大切な身体に触れる者として
セラピスト自身の身体と心の状態をニュートラルに保つことは

解剖生理学やオステオパシーの哲学や
知識やテクニックを学ぶことと

同じくらい大切なことと考えています。

2020年を振り返ると今よりも随分と
感情の揺れや思考の乱れが多く

それでもセラピストとして施術に入る時は
プライベートな自分とは異なるスイッチを入れて
ニュートラルな状態を保つように努めてはいたけれど

ようやく、なんとかクライアントを受け止めれる
ギリギリの状態が作られていたのでしょう。

仕方のないことだったとしても
プロとしては情けない限りです。。。

私自身の中心が定まりフラットであればあるほど
組織の状態や呼吸のリズムから身体の全体を知るサインを
触診した手から受け取ることが出来ますし

安心してクライアントが身体を委ねてくれることで
抵抗なく、互いのエネルギーが行き交いしながら
必要な治療の場が作られていくことを感じます。

安心で安全な場。
その場の中でクライアントとセラピストは共に治療に取り組んでいきます。

私はその治療の場の空間や流れる時間を大切にしたいと考えています。

目に見えない大切なものを支えるために
目に見えること=生理学やオステオパシーのテクニックの学びは必須ですね。


先週末は心のメンテナンスの為に
心理を学ばせていただいている熊谷永浩先生
個人セッションを受けてきました。

まだ名残はあるけれども
1年数ヶ月でPTSDの症状も治まり、
仕事も出来て、当たり前のような日常生活を送れているのは

本当は奇跡のようなことで。

緊急時も含み、定期的に心理セラピーを受けてきたことが
どんなに助けになったことか。

壊れた現実を直視しながら
壊れた心を壊れた身体で支えることは
私一人では到底無理で、

でも少しでも外側から負荷がかかれば
ガラガラと崩れてしまうような状態を

絶妙な距離を取りながら
ホールドしてくださったのだと思います。

と、振り返ってみると色々と浮かんできて
やはり少し辛くなってきてしまいましたね。。。

もう10数回セッションは受けているけれど
PTSDを発症した出来事には触れずに

遠くから無理なく本当に少しずつ
丁寧に心を紐解いていく熊谷先生のセッションは

セッション直後には、
その効果はよくわからないのだけど
数日間、数週間かけて働きかけるようで

気がつくと現実の見え方や捉え方が
心地よいものに変わっていたりするから不思議です。

ここまで書いていて気がついたのだけど
熊谷先生のセッションはオステオパシーの施術に
よく似ているんですよね。

身体の痛みや症状がある部分ではなく

遠くから無理なく本当に少しずつ
丁寧に身体を紐解いていき

施術直後には、その効果はよくわからないけれど
数日間、数週間かけて働きかけ
気がつくと身体の痛みや症状が緩和されている。

クラニオセイクラルオステオパシーは
自律神経という身体のオートメーションシステムに働きかけ

心理セラピーは
無意識という心のオートメーションシステムに働きかける。

絶対的に存在しているのに実体のない心を
小さな部品を精密に組み立て直すかのような仕事をする人。

職人ですね。

身体を扱う私には到底扱うことのできない領域というものがあります。

心理セラピーを受けたり、心理を学ぶ中で
私が中途半端な知識では触れてはいけない領域があることがわかり

熊谷先生にクライアントの心理セラピーをお願いすることも
多くなってきました。

大切なクライアントの心のメンテナンスを
安心して任せることができるのも、とても有り難いことです。

無意識にのしかかる負担やストレスが続くと
身体の痛みや不調となって表面に現れます。

「このまま進まずに脳や身体の負担を減らしてください」
というサインです。

心と身体のシステムは精密だからこそ、
狂いやすく壊れやすいもの。

だからこそ、定期的なメンテナンスが必要ですね。

今週は勉強も兼ねて、
身体のメンテナンスにも行ってきます。

ではでは、今日はこのへんで。

 

天音