昨日、6年ぶりぐらいにある方の施術を受けに行ってきました。

あの出来事から1年と少しが過ぎて
心のケアは大切な人たちの助けもあり、
PTSDの症状はだいぶだいぶ治まり、

多少の波はあるけれど
日常は穏やかに過ごせていると思っています。

ただ、長い間頭の嫌な重さは続いていて、
こんなふうにパソコンに向かって文章を組み立てたりすると
頭が鬱血して隙間がなくなり、
動きが抑制されているような感じがしていました。

自分では触れることのできない身体というものがあります。

私は十数年、施術者として身体に触れてきたけれど、
それは施術を受けるクライアントが
自分では触れることのできない身体に
触れさせていただいていることになります。

例えば、腕であり、お腹であり、肩や頭といった
自分で触れることのできる部分であったとしても
自分では触れることのできない部分があります。

物理的な触れ方も、
自分で触れるのと他者が触れるのでは
その深さや振動や呼吸が異なり、
同じ部分に触れたとしても、
施術者にしか触れられない場所があるのだと感じています。

そんなことを日々考えたり、感じたりしながら
施術をしているので

いざ、自分がクライアントとなると
施術をしてもらう方を選ぶのにとても悩みました。

本来ならば、一番信頼している
私のオステオパシーの師に施術をお願いしたかったのだけれど。
この時期に大阪まで施術を受けにいくのは控えたいところ。

私に起きた出来事が一般的ではなく
そこには複雑に絡み合い
幾重にも重なった記憶があることから
そのままをホールドできる施術者にお願いしたいと考えたところ

たった一人だけ、浮かびあがったのです。

ああ、彼女ならきっと大丈夫と。

久しぶりの再会はとても穏やかなもので
彼女のオステオパシーへの信頼感はとても安心できるものでした。

直感は正確で、彼女の施術を受けている最中も
1日明けた今日も、様々なことが私の中に起きています。

それは、私が一人では触れることのできなかった
閉ざされた身体の記憶。
1年ちょっと身体に留めておいた私。
私を失った私。

ああ、止まったものが流れ出したなという感覚と
私を失った私と今ここに存在している私が統合を始めたような感覚が
柔らかく繊細に身体の中に起きています。

良い流れが作れそうです。

それと、施術が終わって1つ大きな気づきがありました。

それは、私を失った私の存在を見つけて
その私に居場所を作ってくれた人がいたことです。
この場を借りてありがとうございます。

私自身の経験や回復の過程を通して
学べることはとても多く、
この学びが施術に繋がるのならば
もういいかなと思えています。

身体からしか触れられない心。
身体からしか解放されない記憶。
身体からしか触れられない自分。

そこを踏まえての施術が
私のオステオパシーなのだなあと。

彼女と施術の後の会話で私が

「人生の閉じ方を考えるようになって。閉じ方を考えながら広げていきたい」
というようなことを言うと、彼女が言葉をまとめてくれました。

「閉じながらも広げていくという生き方。素敵じゃないですか」と。

私の頭には
身体が吸気、呼気のリズムで
開いたり閉じたりする映像が浮かんでいて。

その中で生命は動き続けているのだなあと。

オステオパシーが自分の外側ではなく
もう私の一部として存在していることに気がつくのでした。