昨日は3年前からサロンに通われている
Sさんのクラニオセイクラルの施術だった。
こよなくフラメンコを愛するSさん。
先日はスペインに2週間ほど滞在し
フラメンコのレッスンを受けて来たそう。
私も何度か彼女のステージを見たことがある。
手拍子と足踏みで作られる独特のリズムが印象的で
あの細い体のどこから
この力強さが出るんだろう?と思わせる
情熱的な踊りをする。
定期的に彼女の身体に触れさせてもらうようになり3年が経つが
踊りの時の身体の動きがかなり変わってきたと報告を受けた。
確かに去年のステージを見たとき
以前よりも上半身の動きはしなやかに動いているように思えた。
フラメンコは感情を思い切り身体で表現する必要がある。
ほんの少し感情を表に出すことを躊躇したりすると
見ている側にダイレクトに伝わってしまうのだそう。
日本人なんて特に感情を表に出さない文化だから
身体と感情を100パーセントリンクさせるのは難しいこと。
身体で感情を100パーセント表現できるのは
赤ちゃんぐらいのもので
今は小さな子供でも出来ていないことが多い。
いつのまにか身体が
感情に蓋をするようになっていることを気づくことは少ない。
人に身体に触れていて感じるのは
身体が開いていくと、心はどんどん開いていく。
オープンマインドなんて言葉もあるけれど
身体が閉じたまま、マインドが開くなんてことはまずない。
自分の人生をかけて
実は彼女はこの3年の間に大きな病気を患った。
乳がんだった。
病気がわかった時には何時間もサロンで話しをした。
自分の中に【死】という言葉が付きまとう毎日が始まり
精神的にも追い詰められていた。
手術をしてからもう2年ほど経つが
病気を患う前の彼女よりも今の彼女の方がずっと生命力に溢れている。
表情も身体も柔らかくなり
話す言葉の選択も変わった。
彼女は病気になることで
自分が本当にフラメンコを愛していることに気がつけたし
今まで変われなかった自分を変えてくれた病気に感謝していると言う。
病気になって世界が変わったと。
その日その日を大切に生きることを選択するようになったと笑顔で話してくれた。
彼女を見ていると
自分の愛するものへの想いのチカラのすごさを感じた。
自分の人生をかけて追いかけたいもの、好きなもの、愛するもの。
そういったものが1つあるだけで人は強くなれる。
私が愛読しているデールカーネギーの言葉に
こんな言葉がある。
「書く為に生き、生きる為に書く」
自分の人生をかけて全うできることと出会えることで
より人生は色づくのだと思う。
愛するチカラ
昨日の記事に書いたミュージシャンの友人も
去年、大きな病に侵された。
色々あって当時の仲間とは疎遠になってしまったのだけど
彼のFBページに報告があった。
ミュージシャンの彼にとっていちばん大切な部分。
彼の病気は咽頭がん。
それもステージ4。
実際に連絡を取り合うことはもうないので
ネットでの記事や彼のツイッターを見るくらいしか状況は把握できなかった。
私にできることは遠くから祈ることだけだった。
今年の1月に治療、手術を無事に終えた彼。
発生機能を失うこともなく、今また音楽活動の復帰に向けて動いている。
以下、彼のFBから
神様がいるのかは分かりませんが、もしもいるのだとすれば、
この喉と命は神様の落とし物だと思って、僕の中の音楽というポケットに大事にとっておきます」「そして。皆様の前で歌えるまで、もう少しだけ僕に時間をください。
近いうちにすぐ必ずハッピーなグッド・ニュースを
お届けできることをここに誓います。そうさ、やりたいこと全部やって、叶えたいこと全部叶えよう。
また、生きるぞ。歌うぞ!そこで待ってろよ!」
たくさんの人の想いのチカラがあったのだと思う。
そして彼の音楽を愛するチカラが奇跡的に彼に歌を残したのだろう。
またいつか彼の歌がたくさんの人に届くことを
私も祈っています。
生きるチカラと自分のメンテナンス
私が施術だけを仕事にしないのは
身体と心を切り離して相手と向き合うことができないと言うのもあるし
私ができる最善のケアを目指すとカウンセリングという要素は外せなくなる。
胸のうちを開ける相手には
不思議と身体もゆだねることができるし
私はその両方を、相手を丸ごと受け止めていきたい。
想いのチカラが身体のチカラになり
身体のチカラもまた想いのチカラになる。
どちらも大切な生きるチカラ。
「やりたいことを全部やって、叶えたいことを全部叶えよう。」
そのためには身体にも心にもメンテナンスが必要。
生きるチカラが溢れるくらいな自分を
目指していきましょー。
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